ぱぐもんのOCD日記

強迫症(強迫性障害)と生きる30代女性のいろいろ

私のOCDとの付き合い

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私は、中学3年〜高校2年くらいにかけて摂食障害(拒食症)になりました。

高校に入学した頃には身長160cmで体重が35kgくらいでした。

健康診断で体重が軽すぎるとひっかかって、都内の心療内科を紹介されました。エスカレーター式の学校に高校から入学したので、最初は今までの環境との違いに馴染めませんでしたが、徐々に仲良い友達ができて、それと共に拒食症から回復しました。

しかし、それと同時期くらいに、今度はOCDになりました。レストランでバイトをしていたのですが、ある時汚れやお客さんに出すものに危険物(ガラスの破片など)が入っていないか心配になるようになりました。

それから、洗浄強迫がひどくなり、学校ではトイレを使えなくなりました。午後の授業は、トイレを我慢するのに必死でした。でも、外出先でどうしてもトイレを使いたくなった時は、デパートで何度も何度も手を洗っていました。勉強したいのに、強迫行為ばかりで勉強にも身が入りませんでした。

朝晩共に、1回のお風呂は1時間くらい。この頃も摂食障害でお世話になった心療内科に行きましたが、少しのカウンセリングと薬を処方されるだけで、症状はよくなりませんでした。自分の手が真っ白になるのを見て、いつも手に石鹸がついている気がして、今度は石鹸で手を洗うのが怖くなりました。頭の中に、「界面活性剤は体に悪い」という考えが焼き付いて、自分のせいで人に危害を与えているような気がして、罪悪感になっていました。

その後、なんとか大学に進学し、1人暮らしになりました。この時は、高校生の頃の手を何度も洗うような洗浄強迫とは少し違い、石鹸が怖いために、サニタイザー(アルコール除菌液)やウェットティッシュを大量に使っていました。当時は、まだあまりサニタイザーを使う習慣がなかったため、薬局で売っていても1本1000円くらいして、お金もかかりました。親からの仕送りを強迫行為に使っていることへの罪悪感、そして、高校生の頃に貯めた約100万円の貯金は、予備校代と除菌グッズでなくなりました。

自分がOCDに悩んでいることは誰にも言えず、こんな生活が嫌になりました。「新しい環境に身を置けば自分をリセットできるんじゃないか」と思い、そんな時、学内の選考に選ばれて、アメリカに留学することになりました。元々アメリカに行くことに興味があり、それと同時に、アメリカ人のだいたんで気にしないような性質(もちろんアメリカ人と言ってひとくくりにはできないのですが)がうらやましく、私もアメリカに行ったら変われるんじゃないかと思いました。

この後の話は長くなるので、またの機会にしますが、あれから10年以上が経った今の生活も、OCDの影響はあります。でも、それはこの10年間、適切な治療を受けなかったり、病気と向き合わずに生きてきたから。

20代をずっとOCDに悩んで過ごしましたが、もっと早く治療を受けたり、信頼できるカウンセラーに出会っていたら、ここまで長い間苦しむことはなかったと思います。

30代になり、時間は経ってしまいましたが、今は自分の病気を受け入れ、向き合うことができるようになってきました。

「もっと早く治療を始めればよかったと後悔していないか」と問われて、「後悔はない」と言ったら嘘になりますが、でも、後悔しても時間が戻ってくる訳でもないし、それよりも今は毎日少しずつ出来ることが増えていってることが何よりも嬉しいです。
今の自分を少しずつ好きになってこられると、「あの時の辛かった経験があるからこそ、今の自分がある」と思えるようになります。だから、後悔というより、この経験を活かして自分に何ができるのかを考えることに、意義があるんじゃないかなと思っています。

今までは、「なんで私がOCDに・・・」とか「OCDなんてなければもっと幸せなのに」と思っていましたが、今は、この病気ってそんなに悲観するものじゃないと感じています。それは、治療を受けていくうちに、症状がよくなってきていることを実感できるようになったから。

「OCD=辛い」とか「OCDの治療=しんどい」などとイメージが固執してしまっても助けにならないので、「どうやってOCDと生きていくか」という風に考えるようになりました。

思えば、小学校の頃から頭の中で同じことを繰り返したり、漢字の書き順を少しでも間違えたら書き直したり、強迫症っぽいことは始まっていたのかもしれません。いつ始まったのかもわからないOCDなので、これから先よくなっても、強迫観念はでてくるものなんだと思います。でも、それとどうやって生きていくか、マネージの仕方を練習したら、OCDと生きていくのは悲しかったり辛いことではない気がします。

OCDのことを誰にも相談できず、1人で悩んでいる人は多いと思います。もしくは、家族や信頼できる友達には話せていても、OCDの辛さをわかってもらえず、孤独になっている人もいると思います。私もそうでした。だからこそ、OCDについてもっと気軽に話せる場であったり、理解してくれる人がいると知ることは、とても大事だと感じています。

まだ私も治療を始めたばかりですが、このブログを読んでいただいている人が、少しでも一歩を踏み出す勇気を持ってもらえたら嬉しいです。