ぱぐもんのOCD日記

強迫症(強迫性障害)と生きる30代女性のいろいろ

8年間ありがとう

f:id:pugmon:20210503145657j:image

今飛行機の中です。

8年間住んだハワイを離れ、メインランド(アメリカ本土)に移ろうと決めてから約2ヶ月。離れるとなると寂しくなるのは予想通りだったけど、正直こんなにもこの地を離れるのが辛くなるとは、想像していませんでした。

私がハワイに引っ越して来たのは2011年。ニューヨークでPanic Attackの症状が出てから、自分にもっと合うところに住みたいと思い始め、それで選んだ地でした。まだ英語を話すのも恥ずかしくて、スタバに行く度に「注文が通じなかったらどうしよう」と思っていたような、そんな留学生でした。

英語以外でも、OCDという壁があり、「OCDがなかったらもっと違った留学生活を送れるのに」と悔しくなることも多々ありました。やってみたいと思ったことも諦めて、次第に「自分には無理だからやめておこう」という考えをいつも持つようになりました。OCDを発症する前の自分と比べてしまい、自信もどんどんなくなっていきました。

OCDのことをほとんどの人に打ち明けられずに生きていくのはあまりに孤独で、「誰かに助けてもらいたい、理解してもらいたい」といつも思っていました。1人でこの病気をどうにかしようとしていた時は、本当に辛かった。そんな時、自分のOCDを理解してくれる人に出会い、結婚。パートナーには「自分のOCDを受け入れてくれる」ということを最優先に求めていました。日々OCDに費やす時間が長いからか、「私=OCD」とばかり考えていた。でも結婚生活はそう長くは続かず、2年弱で別れました。

結婚生活を送っていたマウイは、私にとって特別な場所。以前書いたことがある「ある島」とは、まさにマウイのことでした。でも離婚後、生活を立て直すために仕事を見つけ、隣りのハワイ島に引越しました。

ハワイ島での慣れない仕事、そして新しい生活環境ということもあったからか、OCDも悪化。仕事中も何度も手を洗ったり、触れないものがあったりと、隠しながら仕事をしていくこと自体がストレスになっていました。夜遅くに家に着いてクタクタでも、毎日決まった掃除をしないといけなかったり、沢山の儀式がありました。それに加えて、お客様のクレーム対応や罵倒されることもあり、いくら仕事だからと言っても個人的に受け取ってしまったり、精神的にも不安定に。もうこんな生活は無理だと思って、1年後に辞表を出しました。そんな私の気持ちを変えてくれたのが、当時の上司でした。最終日に3時間以上に渡って話し合い、「退職の手続きは明日までしないでおくから、気が変わったら電話して」と言ってくれました。そして何を思ったのか、私は次の日に彼に電話をしていました。

あれから3年半経った今、あの時引き留めてくれて良かったと、彼には本当に感謝しています。その上司は私のハワイのお父さんのような存在で、私のOCDのことも理解してくれました。彼が昇進して私の上司でなくなった後も、時間を作ってくれたり、家の庭で採れたバナナを持って来てくれるような人でした。

そんな元上司に、メインランドに移ろうと思っていると伝えた時、”Hawaii is your home”と言ってくれました。今までいつも自分の居場所がない気がして探していた私。友達や知り合いは決して多くなくても、私のことをCareしてくれる人がいることを実感して、ハワイに来て良かった、彼らに出会えて良かったと、心から思っています。”Ohana means family”というフレーズ、私にはこの地に家族もいないし、いつも1人だと思っていたけど、8年住んでやっとこの意味を理解することが出来た気がします。辞表を出してからのこの1ヶ月は、日に日に離れるのが辛くなって、「本当にこれで良かったのか?」とも考えました。でも、これからどんな人生を送ろうと、”Hawaii is my home”ということは変わらないのかもしれません。

本当は4月25日で退職だったのに、結局出発の前日ギリギリまで働いた私。何度も辞めたいと思ったこの仕事も、ここに来て離れるのが寂しく、そして会社に大切にしてもらってきたと実感しています。今まで長く仕事が続いたことがなかった私が、こうやってOCDがありながらも働いてこられたのは、目に見えない周りからのサポートが沢山あったから。そして、本当の家族ではないけれど、この4年半、あの会社が私のホームであり、自分の居場所だったんだと感じることが出来ました。

昨日のハワイでの最後の夜は、お世話になった前の上司と同僚と。食事中もOCDの症状があり色々気になっていたけど、本当に楽しい時間でした。そして、案の定別れの時は泣きました。「これは”last dinner”じゃないよ。Be happy, your future is bright!」と言って送り出してくれました。

思えば、ハワイ島に引っ越してきた時は離婚したばかりで、お金もキャリアもなくて、本当に「これからどうなっちゃうの?」といった状態でした。「こうなったのも自分が悪いから」と自分を責めて生きていました。そんな何もなかった私に「君と働いてみたいな」と言ってチャンスを与えてくれた上司。そのお陰で4年半かけて生活を立て直して、経済的にも自立し、OCDの治療を受けられるようにもなりました。辛いこと悲しいこと、色々あったけど、こうやって振り返ってみると、少しずつ前に進んでいる気がします。これも、私に関わってくれている方たちのサポートがあるからこそ、出来ていること。1人1人に「ありがとう」と伝えたいです。

この先、またどうなるか分からないし、ハワイとはしばらく離れることになるかもしれないけれど、今の私にはいつでも戻ってこられる「ホーム」がある。そう思うと、どこにいても、何をしていても、心と心が繋がっていられる気がします。そして、それがこれからまた新しい土地で生きていく上で、大きな支えになってくれると信じています。

ハワイでの日々、この特別な地で出逢った人たちとの思い出、これからもずっと私の人生の大切な一部です。

Mahalo nui loa & A hui hou (Thank you very much, until we meet again)...

f:id:pugmon:20210503151258j:image